子供にしか見えない絵

 

お題「子供の頃の不思議な体験」

 

保育園の時の話。

 

小さな白い紙に青いクレヨンで絵を描いた。

 

子供ながらに「けっこう上手く描けたな」と思ったのを覚えている。

 

でも「親や先生は、きっとこれが何の絵か分からないだろうな」と思っていた。

そんな事を考えている自分は子供らしくなかったのかもしれない。

 

その絵を、自分の勉強机の、普段あまり使っていない引出しにそっとしまった。

 

しばらくしてから、その引き出しを開けてみた。中には、あのときの絵がちゃんとあった。だけど不思議なことに、それが何の絵だったのか、思い出せなくなっていた。というか見えなくなっていた。

 

描いたときははっきり分かっていたはずなのに、それが見えなくなっていることに、ちょっと驚いた。

 

しばらくじっと見つめているうちに、また少しずつ「何の絵か」が見えてきた。安心して、また引き出しに戻した。

 

時間が経って、また引き出しを開けてみた。今度は、前よりも絵が見えるようになるまで時間がかかった。

 

まるでパズルみたいに、絵はどんどん難しくなっていくようだった。

 

絵がただのぐちゃぐちゃに描かれた線に見えるようになっていく度に、自分がだんだん「自分じゃなくなっていく」ような気がして、少し怖くなった。

 

何度かそういうことを繰り返しているうちに、何の絵だったのか、まったく分からなくなってしまった。

 

「大人になるって、変わっていくことなのかもしれない」って、そんなことを感じた。

 

子どものころに描いた絵は、もう読めない暗号みたいになってしまったけど、

 

きっとあれは、今の自分をつくる、小さな一片だったんだと思う。

【一人帰省】年末の大雪とカラオケ難民になった夜の話

 

12月の終わり。

 

一人暮らししているアパートの大掃除を終えた夜、大雪の中バスに乗った。

 

駅に着くと、ごはん屋さんで爆食した。

 

次の日の朝に地元へ帰省する予定だったから、この後カラオケでオールするつもりだった。

 

だけど年末の土曜日で帰省ラッシュだった事もあり、駅前のカラオケ3店舗連続で「一人のフリータイムは厳しい」と断られてしまった。

 

どこもめちゃ込みだった。

 

とりあえず泊まる場所を探さなくちゃいけなくて、探したらここから2,3km離れたところに「快活クラブ」があって、そこで泊まる事にした。

 

大雪の中歩きたくなくて、タクシーを捕まえて行き先を伝えた。

 

運転手さんは地元の人で、話しやすい人だった。

 

昔この辺りにあったお店や、お互いの地元についていろいろお話した。

 

会計は結局2,000円もした。新紙幣に慣れてなさすぎて20,000円差し出し、

運転手さん:「おおお客さん、これ一万円札です!」
俺    :「え?あ、本当だ。良かったー運転手さん良い人で。」

なんて呑気な事を言いながら会計してタクシーを降りた。

 

快活クラブの一番安いオープン席で、アニメ見たり、作業したり、めちゃくちゃ満喫した。

 

朝になってシャワーを浴び、近くのバス停からバスに乗り、また駅前まで戻ってきた。

 

昨日混んでいたのが嘘みたいにガラガラになった駅前のカラオケで2時間半歌ってから、電車で帰省した。

 

一人で過ごすこういう時間がすごく楽しい。

2024年度 上智大学 理工学部 編入学体験記

お題「受験期の思い出は?」

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はじめに

高専から第1志望校として、上智大学 理工学部 機能創造理工学科の編入学試験を受験しました。

 

キャンパスや建物の雰囲気、カトリックならではの教育方針などに惹かれて受験しました。

 

2024年度、上智大学 理工学部 機能創造理工学科 の編入学受験者は、僕一人だけです。

 

この記事では、上智大学 理工学部 機能創造理工学科の編入学受験の体験について書いています。

 

自己紹介

〇名前: Yuu

〇現在: 大学3年生

〇学歴: 長野高専 (電気系)
     → 長岡技術科学大学 (情報経営系) 3年次編入


編入学受験校:
 ・長岡技術科学大学 (国立)
 ・新潟大学 (国立)
 上智大学 (私立)
 ・ICU 国際基督教大学 (私立)

 

上智大学 理工学部(機能創造) 編入学試験について

受験したのは、2023年の11月下旬です。(2024 年度入学試験を受験)
僕が受けた時の試験情報について、以下に記載します。

 

大学・学科名: 上智大学
                             理工学部 機能創造理工学科
                             (四谷キャンパス 東京都千代田区紀尾井町 7-1)

試 験 区 分 : 特別入学試験 (編入学試験)

願書受付期間 : 9 月中旬 ~ 9 月下旬

試験日: 11月26日(日)

結 果 発 表 日 : 12月上旬

提 出 書 類 : 
  ○成績証明書
  ○志望理由書(800 字程度)
  ○学業計画書(1200 字程度)
  ○卒業見込証明書
  ○単位修得見込科目リスト
  ○修得済および修得見込科目すべての講義概要等
   講義内容のわかるもののコピー(※A)
  ○出願要件として定められた各種試験・資格の
   成績または合格を証明する書類(※B)
  ○その他いろいろ

試 験 科 目 :
  ○理工学に関する基礎的な知識を問う問題
                 (選択問題)(※C)
                   【1 時間:30 分 】

面 接 : 個人面接(15 分強)/面接員: 2 名

確 約 書 : なし

合格した際の学年: 3年次(※D)

試験結果: 不合格

 

上智編入の詳細情報

※A ... 高専で受けた授業すべてのシラバスを A4 片面に 2 ページずつ両面印刷して提出しました。これは、大学入学後の単位認定に使用されます。

 

※B ... 上智大学の各学科毎に、外国語検定試験による出願基準が定められています。各学科の指定する外国語検定試験の、いずれかの基準を満たしていなければ出願ができません。(神学部 神学科は代わりに神父の方からの推薦状等が必要)
※僕は、最短で理工学部の出願基準を超えるために、パスポート申請してIELTS 4.5 (4.0以上が必要だった)を取りクリアしました。

 

※C…(有料部分に記載)

 

※D上智大学は「3 年次編入」という名前で編入学試験を実施していますが、上智の 2 年生までに取らなくてはいけない必修科目が、高専 (編入前の大学)で履修した授業の中でどれだけ単位認定されるかで、卒業までにかかる年数が決まります。
卒業までに 3 年以上かかると判断された場合、3年に編入しても学部卒までに3年かかったり、2年次編入になる可能性もあります。(合格後に、大学側で単位認定について決められるようです。)
ちなみに、僕が過去に調べた限りでは、高専からの編入学の場合、原則として単位認定されるのは 4、5 年生の間に履修したものになるはずなので、もし今もその方針であれば、高専から上智大学編入する場合は、3年かかる可能性は高いと思います。
(受験期に調べたデータなので、現在の情報については調べてみてください。)

 

試験前日から試験当日までの様子

前日、大学の下見に行きました。

オシャレ。

上智大学に隣接しているイグナチオ教会のミサにも少し参加しました。

泊まったホテルは東急ステイ四谷です。上智大学まで徒歩5分くらい。

クリスマスが近かったのでツリー飾ってありました。

自由に使えるスペースがあって、そこでずっと勉強していました。当日の朝食は、ホテルで用意された食事をとりました。

前日の昼食と夕食、試験終わった後の夕食は、ずっと近くのバーミヤンに行っていました。

受験当日、試験会場の案内板が出ていました。機能創造の編入学試験は6号館でした。

この日実施されたのは編入学試験だけではないので、受験生がたくさんいました。

左上の写真が試験会場です。試験監督1人、試験スタッフ2人 (上智の学生さん)が付いてくれていました。面接までの待機場所もこの部屋で、面接場所は別の部屋でした。

出願書類

提出書類がかなり多く外国語検定試験の基準を満たす必要があるため、上智大学は、出願するまでが、まず大変でした。

( 外国語検定試験で結果が一番早く出るのは、おそらくIELTSです。時間がない人は、パスポート取ってIELTS受けるのがおすすめ。)

 

高専から上智編入する際の併願校

併願校は、長岡技術科学大学新潟大学でした。

上智の受験は、国立大学と比較して、受験時期が遅いです。

併願校の入学手続きや、確約書等の期限が、上智の合格発表後でも間に合う必要があります。

なので、上智大学を第一志望校にすると、併願校として受けられる国立大学はかなり限られてきます

 

高専から上智大学を受験して

受験は、時期的に卒業研究の中間発表と、時期が被っていたので、かなり忙しかったです。テストやレポートは、必要最低限でやっていました。

 

高専から受験する場合、周りの人の進学先の多くは、専攻科や国立大学なので、上智の受験の頃には、ほとんどの人が進路確定しています。

 

「周りは周り。自分は自分。」と割り切って、挑戦した方が良いです。

 

上智(理工)編入の難しい点

まず、外国語試験で基準をクリアしていなければ出願できない事提出書類が多い事などは、上智編入の大変な点だと思います。

 

また、他の理工系大学の編入学試験と比較して、上智大学編入学試験は、試験範囲が明確に示されていません

 

唯一示されている情報は「理工学に関する基礎的な知識を問う問題 (選択問題) (90 分)」という事のみです。試験内容の予想と対策をする必要があります。

 

さらに、そもそも上智編入学受験者は毎年少ないので、過去の受験者からの情報収集が困難です。

 

面接も、国立大学と比較して特徴が違う印象がありました。

 

以下に、2024年度 上智 機能創造 編入学試験の「面接内容」「筆記の問題形式」「今後の試験範囲の予想」をまとめました。

 

上智編入を考えている人も、そうでない人も、参考にしていただければ幸いです。

 



※続きの有料部分はnoteでも読めます。

note➞ 2024年度 上智大学 理工学部 編入学体験記|Yuuの体験ログ

 

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近所のおばあちゃん

eyecatch

 

小さい頃から田舎で育った。

 

小学校や中学の登下校で、ご近所の人に会ったら「こんにちは!」って挨拶するのが普通な感じで、そういうのが結構好きだった。

 

隣のお家に、昔から野菜とかお菓子をたくさんおすそ分けしてくれる優しいご夫婦が住んでいて。

 

そこのおばあちゃんとお話するのが好きだった。

 

おしゃべりなおばちゃんで、会うとたくさんお話してくれる人で。

 

小さい頃から音楽習っていたのもあって、小学校とか、中学の文化祭で、ドラムやったりギターやったり、吹奏楽部でいろんな楽器演奏したりしてて、

 

おばちゃんは自分の孫が居るわけでもないのに、そういう場に足運んで見に来てくれてた。

 

会うと、「すごいねぇ」「よくあんなに器用にいろいろこなすわ」とか「小さかったのに、好青年になっちゃって」とか褒めてくれた。

 

年末、県外から帰省して、久しぶりにおばちゃんに会いに行った。

 

「おばちゃん、お土産持ってきたよ。」って、お菓子渡しに行ったら、
また中学の時の話とか、たくさんお話してくれた。

 

いつも「若い人と話すと元気もらえるよ。」ってよく言ってくれるけど、多分自分の方がおばちゃんからたくさん元気もらっていて。

 

こういうご近所付き合いが、自分の原点になっている気がして、素敵な縁に恵まれているなと感じます。

 

 

「将来の見つけ方 #3」 ~夢とやりたいことの見つけ方~

見出し画像

 

お題「人生の中でどうしても手に入れたいもの」

 

この話は3つに分けています。

①「将来の見つけ方 #1」 ~高専生活と考えていた事~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

 

「将来の見つけ方 #2」 ~国立・私立大学選びと専攻分野の変更~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

 

③「将来の見つけ方 #3」 ~夢とやりたいことの見つけ方~

 
 (※この記事)

 

 

夢・やりたい事・将来

やりたい事が分かるのは自分だけ。

周りの「現実を見ろ」という言葉で、せっかく向き合うべきだった「自分の夢」「やりたい事」から遠ざかってしまう人が多い気がします。

 

周りの大人は「現実をみろ」とか「真面目にコツコツ働いて安定した職業に就きなさい」とか、

 

「あなたが幸せになるために」っていろんな事を言ってきたりするかもしれないけれど、

 

それは、その人の生き方やエゴなんだと思います。

 

その人は自分の人生をそう生きれば良いだけであって、

 

どんな関係性でも、他人の人生を決められる理由にはならないし、
嫌なのに周りに言われた型に無理にハマる必要なんてないと思います。

 

そもそも人によって「幸せ」の条件なんて違うから、自分にとっての「幸せ」や「やりたい事」は、自分にしか分からないはずです。

 

やりたい事は一つに絞らなくて良い。

十年前と今でも時代が違っているし、今だから挑戦できる事がたくさんあると思います。

 

(例えば、SNSで収益化したり、自分で作った作品をネット上で販売したり。もちろんお金を作る事に限らず。)

 

昔では1つでも絶対無理だったものが、今はたくさん挑戦できる環境があると思います。

 

だから、昔正しかった事がすべて、今でも変わらず正しいと考えている人達の話を鵜呑みにするのではなくて、

 

今本当に自分がやりたい事を、一つに絞らず自由にいくつでもやってみれば良いと思います。

 

僕は「難しそう」とか「現実的じゃない」とか考えずに、やりたい事をとりあえず書き出してみました。

 

なんでもない時に「あ、なんとなく こんな事したいかも。」っていうのが降ってきたら、忘れないうちにどこかにメモしておくと、後から見返して、

 

それが「将来の自分」に繋がったりすると思います。

 

僕は、高専時代にメモしていた事を元に、大学編入してからいろんな活動を始めて、

 

少しずつだけど、それが目指していた「収益化」などにも繋がったし、これから自分がやりたいと思う活動は、全部やってみようと思っています。

 

実際いろんな「やりたい事」をやり始めてから、新しく学べた事もあったし、自分らしく生きられている実感がありました。

 

多分こういうのが、生きる楽しさなんだと思いました。

 

どんな職業に就いたとしても、今やっている事は絶対続けていきます。

 

「先生になりたい」「看護師になりたい」「エンジニアになりたい」とか、

 

「何になりたい」だけが将来や夢じゃないと思うし、こんな時代だからこそ、いろんな事をやってみれば良いと思います。

 

夢は考えるだけじゃ見つからない。

どれだけ考えても、見つかる夢には限界があると思っています。

 

勉強やバイト、ボランティア、副業、趣味など、なんでも良いから、経験をして初めて「自分はこういう事に興味があるのかもしれない。」って、何かを見つけられるんだと思います。

 

(大学で違う分野の専攻に行ったのも、高専の電気系にいたから繋がった進路だった。)

 

夢はいくつ持ったって良いと思うし、自分の人生は自分のものだから、

 

他人に左右されずに、自分がやってみたいと感じたいろんな事挑戦してみるのが大事だと思います。

 

将来、自分なりのやり方で恩返し

多分、今までの人生の中で、誰にも支えられずに生きてきた人は一人もいないと思います。

 

支えてくれたのは、親だったり、先生だったり、友達だったり、見ず知らずの人の言葉だったり。

 

人によって違うとは思うけれど、今まで支えてくれた人達、そしてこれから先支えてくれる人達がいると思います。

 

だからこそ、周りからは「君にはこうなってほしい」という期待をかけられる事もあると思います。

(僕を支えてくれた人達の中にも、そういう人が居ます。)

 

でも、支えてくれたからと言って、あなたの人生を決めて良い理由にはならないし、

 

自分の人生は、周りの人を満足させるためにあるんじゃなくて、自分がやりたい事のためにあると思います。

 

(自分の人生を決めて良いのは自分だけ。)

 

スタート位置で周りの期待に応えられなくても、
その先の将来で、自分なりの方法で誰かを助けてあげたり、笑顔にしてあげられたら、

それが十分な恩返しになっていると思います。

 

今はここまで支えてくれた感謝の気持ちを忘れずに持てていれば、十分だと思います。

 

周りからの助けがあったから今の自分がいて、いろんな事に挑戦できている事をちゃんと分かった上で、

 

いろんな経験をしながら、新しい自分を見つけていく事が大切なんだと思います。

 

最後に

ここまで読んでくれてありがとうございました。

3つの記事に渡っての長文になってしまいましたが、自分の経験や思いを書いてみました。

 

誰でも自分らしく生きられる方法は、必ずあると思います。

 

この記事を読んでくれているあなたに、少しでも将来を見つけるための何かを受け取ってもらえていたら嬉しいです。

 


「将来の見つけ方 #2」 ~国立・私立大学選びと専攻分野の変更~

eyecatch

 

お題「環境を変えたら人生が変わった話を教えて」

 

この話は3つに分けています。

①「将来の見つけ方 #1」 ~高専生活と考えていた事~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

 

「将来の見つけ方 #2」 ~国立・私立大学選びと専攻分野の変更~

 
(※この記事)

③「将来の見つけ方 #3」 ~夢とやりたいことの見つけ方~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

大学受験・大学生活

大学進学

大学進学(編入)する事だけは、早い段階で決めていました。

 

何か大学で学びたい事があるからじゃなくて、自分にはまだ「将来の自分」が見えていなかったし、そんな状態で、なんとなく就職するのが嫌でした。

 

学生時代に「挑戦したい事」(#1の記事の話の中で、授業中に書き出したやつ) があったし、

夢が見つかった時、将来応用が利くように最低限学士は持っておきたいと考えていました。

 

でも例年、高専からの進学先のほとんどは国立大学の工学部。

 

工学に興味が無かったし、増してや電気系の分野が嫌いだったから工学部の電気系に進んでも、

また同じような日常が、なんとなくで続くんだろうなと感じていました。

 

「このまま何も変わらないのは嫌だ」と思い、5年生の4月に「違う環境に行こう」と決めます。

 

通信制大学の進学も考えた。

大学進学(編入)する事だけは、早い段階で決めていました。

 

学士が取れて、場所に依存せずに、いろんな挑戦がしやすい環境って、「通信制大学なんじゃないかな」と考える時期が結構ありました。

 

ネットで調べると、学費面であったり、家庭環境によって、通信制大学を選んでいる人が多くいました。

 

でも、自分はありがたい事に、金銭的にも支援してもらえる環境だったし、

 

今いる状況的に、高専の強みも活かして、国立・私立関係なく通学制の大学に編入できる可能性は十分にあると思いました。

 

それに、通信制大学よりも通学制大学の方がいろんな人と関わって、いろんな経験ができるんじゃないかな、と考えるようになりました。

 

別に挑戦したかった事は、通信制大学じゃないとできない事ではなかったし、普通の人が、当たり前に進学できない大学で学べる事には価値があると思いました。

 

もし、それを得るチャンスがあるなら、手に入れてみようと思いました。

 

志望大学

最初、地元の国立大学の電気系を薦められていました。

 

でも、それだと環境が変わらないと思ったし、「挑戦したい事」がやり易いように「一人暮らしをしたい。」と考えました。

 

工学が嫌いで、工学部以外の学部を受験する事も考えた時期がたくさんありました。

 

だけど、将来が見えていない今「将来的に、いろんな場所で活かせる可能性が高いスキル」と考えた時、工学部以上の場所はありませんでした。

 

その中で「行ってもいいのかな。」と思えたのが、上智大学の機能創造理工学科でした。

 

電気だけではなく、広い範囲を学べるカリキュラムにも魅力は感じましたが、何よりも上智大学の教育理念や歴史、キャンパスの雰囲気が好きだったので、この環境の中なら頑張れるかもしれないと思いました。

 

併願大学選び

地元から遠すぎる大学は嫌だったので、地元と簡単に行き来しやすいように、近隣県、関東圏の中から受験大学を選びました。

 

国立大学は、上智大学と比べて受験時期が早かったので、国立大学の中から併願校を選びました。

 

「近隣県か関東圏にあって、上智の合格発表まで、入学手続き等が間に合う国立大学」という条件で絞っていったら、最終的に残ったのが、新潟大学(以下新潟)と長岡技術科学大学(長岡)でした。

 

電気系からの編入だったので、大学も似た分野の方が受かりやすいと思い、とりあえず新潟は同じ系統の電気系を受験しました。

 

でも長岡に関しては、電気系ではなく、違う分野の情報経営を受験しました。
理由は、今まで調べてきた工学部の中で、唯一少しだけ面白そうと思えた分野だったからです。

 

今まで触れてこなかったものが多くあり、特別な魅力を感じました。

 

新潟は何故か受かるつもりだったので、長岡では電気系ではない、別の分野への挑戦もしてみようと思いました。

 

合否結果

結果として、新潟は不合格、長岡が合格でした。

 

新潟は学力試験の倍率が7倍だったので仕方ないと思えました。

 

長岡の倍率は忘れてしまいましたが、高かったのは覚えているので (3倍は超えていた)、合格もらえて嬉しかったです。

 

ちなみに高専で培った自己流の短期試験対策方法を駆使して、5日で合格してます。(奇跡)

 

「本当に俺こんなんでいけるんか?」って思っていました。

 

( みんなはちゃんと数か月前から対策してます。受験生の方は、僕みたいに変な事しないで、後悔しないようにしっかりコツコツ頑張ってください。 )

 

残念ながら、第一志望校だった上智大学は落ちてしまいました。

 

その後、リベラルアーツ教育に興味があったので、「受からなくても挑戦してみたい」と思い、ICU(国際基督教大学)も受験しましたが、不合格でした。

 

いろんな思いを持って、4つの大学を受験しましたが、それぞれの大学受験をしたからこそ、分かった事や、感じられた事がありました。

 

振り返ると、大学受験が楽しかったし、どの大学の受験も、挑戦して良かったと感じています。

 

上智とICUは、編入学の受験時期が高専の卒研が忙しくなる時期と重なっていたのでかなり忙しかったです。

大学生活_別の分野に行ってみるという選択

実際に、長岡の情報経営に行って、工学の見え方が少し変わりました。

 

例えば実験の授業は、高専まで回路を組んで測定をして傾向を出して、とかでした。

 

でも大学では、実験の授業はプログラミングがメインになって。

 

「このゲームをこういう風に改善したいから、こういうプログラムを組む」とか、「目的があって、それを実現するためにプログラムを書く。そのスキルが将来どんな場所で活きてくるのか。」みたいな、

 

今やっている事と将来がどう繋がるのかを、工学部にいて初めてちゃんと感じれた気がしました。

 

(※たまたま自分は電気系より情報経営の方が興味が持てた。得意・不得意ではなく。)

 

もちろん長岡の情報経営だから、周りはずっと情報系を専攻してきた元高専生ばかりで、レベルが高い人ばかりでした。

 

付いていくのがやっとだし(ちなみに長岡は国立大学 退学率ランキング No.1)、友達や先生に助けてもらわないと、できない事もたくさんありました。

 

それでも、学ぶ意味を見つけられた気がしたし、興味があるものが少しずつ見えてきたので、結果的に長岡に来れてよかったと感じています。

 

研究室配属

3年生の時点で研究室配属されました。僕は福祉系の研究室に配属が決まりました。

 

本格的な活動はまだ始まっていませんが、研究活動の一環として、福祉系の活動にも参加しました。

 

たくさんの方と関わる中で、なんとなくだけど、自分にとって興味があるものが見えてきた気がしました。

 

今やっている事が違うと思うのなら。

僕の場合は、同じ工学部内でも、専攻分野を変えただけで、将来の見え方が変わりました。

 

今やっている事に興味を持てないのなら、今いる場所ではなく、違う場所に行って、別の事に挑戦するのもアリなんだと思います。

 

▶︎#3 へ

「将来の見つけ方 #1」 ~高専生活と考えていた事~

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はじめに

将来について

中学卒業して、高校や高専へ。そして大学へ。さらに就職とその先についてなど。

 

進路や将来について考える瞬間は、誰でもありますよね。

 

でも、進路や将来なんて簡単に決められるものではないし、悩んでしまう人はたくさんいると思います。

 

僕もなかなか自分の将来像が見えなくて、進路選択など、人よりも時間をかけてたくさん悩みました。

 

この記事では、高専受験、高専生活、大学受験など、自分が今までやってきた事や考えてきた事を踏まえて、進路や将来について書いています。

 

将来について悩んでいる人に何か受け取ってもらえると思うので、よかったら読んでみてください!

 


 

記事は3つに分けています。

 

将来の見つけ方 #1」 ~高専生活と考えていた事~

 (※この記事)

 

②「将来の見つけ方 #2」 ~国立・私立大学選びと専攻分野の変更~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

 

③「将来の見つけ方 #3」 ~夢とやりたいことの見つけ方~

yuunotaikenlog.hatenablog.jp

 

自己紹介

〇名前: Yuu

〇記事を作った時: 大学生

〇学歴: 長野高専 (電気系)
     → 長岡技術科学大学 (情報経営系) 3年次編入

〇趣味: 音楽と料理

 

高専受験と高専生活

そもそも高専に進学した理由

だいたい高専に入学してくる人達は、工学系に興味があったり、就職に強い事や大学入学共通テストを回避して準学士(短大相当)まで取れる事、国立大学への編入学試験が多く受験できる事などに、魅力を感じて入ってくるんだと思います。

 

でも、僕の高専進学の一番の理由は、教育内容とかでもなく、「校則が緩いから」でした。

 

親に勧められて、冬休み前に仕方なく高専を見学しに行ったら、みんな自由に自分らしくいる印象があって。

 

中学は校則が厳しくて息苦しい場所だった事もあって、180度も違う環境が新鮮でした。

 

もう一つ進学理由を付け足すとしたら、「高専の学力試験が自分に有利な配点方式だったから」です。

 

僕が受けた試験は、数学・理科・英語の配点が2倍、国語・社会はそのままという配点形式でした。

 

小さい頃から理系科目と英語は強くて、中学入ってからは数学・理科・英語はクラスで一位とれる感じでした。

(田舎の中学だったから、めちゃくちゃ小規模校だったけれど。) 

 

これに対して、社会と国語はクラスの下から数番目。

 

社会に関して言えば、中学3年生(公立高校受験間近)の時に模擬試験受けたら31点叩き出して、社会の先生からは、

 

「お前、こんなんでどうすんの。」って。
「いや、俺が聞きたいわ。」って。

 

そんな偏った学力だったから、高専の学力試験以上に自分の強みを生かせる試験はないと思って挑戦しました。

 

(ちなみに、高専の推薦入試は中学の先生方と仲が悪くて内申点が低かったので受けられませんでした。あと、学力で合格したいという気持ちが強かったです。)

 

得意科目が重要視されていたので、高専の受験勉強は楽しかったです。

 

「お前、こんなんでどうすんの。」って言われた数日後に、高専の合格発表があったから、「やってやったわ」と思いました。

 

僕のいた中学の学力レベルはあまり高くなくて、数十年ぶりに高専進学者が出たようです。ある種快挙でした。

 

「名前残してやったわ」と思いました。

 

高専落ちたら、ダメ元で県内で2番目に難関の公立高校受けるつもりだったので一安心でした。

 

高専で興味が持てるものはなかった。

僕が受験した時は、学科(全5学科)毎に募集がかかっていました。

 

僕はとりあえず入れれば良かったので、例年の各学科毎の倍率傾向から一番倍率が低そうな電気電子工学科を受験しました。(実際一番低かった。)

 

結果、電気電子工学科に合格します。

 

でも、実際に高専で専門科目の授業が始まって、「あ、あんまり面白くないわ。」って感じる訳ですね。

 

「もしかしたら5年間のうちに興味を持てるようになるのかもしれない。」とも思ったけれど、どれだけ時間が経ってもやっぱり興味ない事に、興味は持てませんでした

 

周りのみんなは、授業でやった事を好き嫌い関係なく、とりあえず時間をかけて勉強して覚えていたけれど、どうしても僕にはそれができませんでした。

 

昔から、面白いと思ったものにはとことんのめり込むけど、将来自分にとって役に立つのか分からなかったり、

 

そもそも興味のない事には時間をかけられなかったし、どれだけ時間をかけても身に付きませんでした。

 

(さっきの話。中学の時、国語と社会で模試の点が取れなかったのも、そういう理由。)

 

昔も今も、好きじゃないものを無理に好きになる必要はないと思っています。

 

一番リスクが少ない成績順位を、逆算して狙った。

幸い、高専はちゃんと実験レポート出して試験を突破できていれば、ちゃんと成績が付いて進級ができる環境だったので、試験で点数を取る努力はしました。

 

試験内容を理解して試験に臨むのではなく、意味が分からないところは理解を諦めて、出題されそうな問いの解答の文章を丸暗記したり、

 

100%理解していないまま計算手順を記憶したりしていました。

 

1学科全体40人程の環境の中で、成績が上過ぎたら頭が良いと勘違いされて、変な期待をされてしまうし、下すぎると先生に目を付けられてしまう

 

だったら、半分より少し上の15位くらいが一番リスクが少ないと考えました。

 

それに、自分にとって一番の将来が見えた時、成績が15位だったら、進学にしても就職にしても、あまりネックにはならないと思ったから。

 

科目毎にだいたいの平均点を予想して、その平均点をやや上回れば、おそらく成績は15位くらいになると思って、

 

それくらいの点数を取るためには、最低どれくらいの時間、どんな試験対策をすれば良いのか逆算しました。

 

最短ルートを考えて、結局試験対策を始めるのは、だいたいその試験当日の0時でした(笑)。

 

そこから徹夜で理解や暗記をひたすら朝まで続けて、行きの電車の時間も、とにかく暗記にあてました。

 

(科目毎、事前にこんな対策しようというのは、ある程度決めておいた。)

 

授業なんてほとんど聞いていないのに、そんなだから、試験開始直前に「テストいけそう?」とか、ちょっと友達に話しかけられると全部忘れてしまいそうなくらい、試験はギリギリの記憶で臨んでいました。

 

試験解き終わった瞬間に、もう何も覚えてませんでした。めちゃくちゃですよね(笑)。

 

成績は12位~18位くらいを行き来してました。

 

でも、そうやって乗り越える試験はちょっと楽しかったです。

 

授業中は将来やりたい事を考えていた。

ちゃんと授業聞けって話なんだけれど、授業中は将来の事ばかり考えていました。

 

将来と言っても、「何になりたいか」じゃなくて「何をしてみたいか」を考えていました。


(自分が今高専にいるからとか、余計な事は考えずに。)

 

そして、少しでもやりたいと思う事を、一つずつ書き出していったら、
自分でも驚くくらい、メモ帳がびっしり埋まっていました。

 

Instagramで収益化とかの副業関係が多かった。)

 

「なりたいものはないけれど、やりたい事はこんなに持っていたんだ。」と感じました。

 

多くの人が「将来何になりたいか」を先に考えようとするけれど、「何をしたいか」が先にあるべきなんだと感じました。

 

「これがしたいから、これになりたい。」っていう考え方が、一番夢を見つけられる気がしました。

 

授業中にそんな事やってたもんだから、時々あてられそうになると友達に「ヤバい、今どこ!?」って聞いていました。

 

卒業研究は簡単で人と違うことをやった。

高専3、4年生の時から、5年生の卒研発表を見る機会がありました。

 

「難しいしいテーマばかりを扱っていたから、後輩たちは理解できなくてあまり質問ができないし面白くない」ように僕は感じていました。

 

ただ退屈な発表時間が続いていくような感覚でした。(先輩達に怒られそう。)

 

考えてみれば、そもそも電気系に興味がないのだから興味が持てる研究があるはずがないと思いました。

 

あと目立ちたかったので、みんなと同じようなテーマで同じような難易度でやってもダメだと思い、一番簡単に目立つために、人と違う分野のテーマで、発表中みんなが耳を傾けて質問しやすいように難易度を下げました。

 

人が扱っていなくて理解しやすい内容の研究にしようとだけ決め、
具体的に何をするのか決めないまま、「この先生ならどうにかしてくれそう」と思った先生の研究室に入り、最終的に脳波計使った研究発表をしました。

 

最終発表では、説明しない穴を作って後輩が質問しやすい状況を作りました。

 

(結果、想定の2、3倍質問がきた。)

 

質問の時「誰よりも多く後輩に手をあげさせる」のが目標だったから、バッ!ってたくさん手が上がって、大満足でした。

 

(徹夜だったので具体的に何答えたかあまり記憶ありませんが。)

 

電気系らしくない内容の発表だったしレベルも低くしたので、「いろんな人にボロクソ言われるかな」と思っていましたが、

 

どういうわけか評価してくれる先生や先輩もいて「間違ってなかったかも」思えました。

 

「周りがこうだから自分も似たようなことをする」じゃなくて「自分はこうしたいからこうする」っていう行動も正解なんだなと感じました。

 

僕がやりたいように自由に研究させてくれた研究室の先生には頭が上がりません。

 

そして、結果的にこんな僕でもストレートで高専を卒業する事になります。


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